はじめに
子どもの頃、たくさんの本を読みました。その中でも、大人になった今でも忘れられない一冊があります。それが、『ハッピーバースデー 命かがく瞬間』です。
なぜあの本がそこまで心に残ったのか、正直、今でもはっきりとは分かりません。ただ、大人になって振り返ると、少し見えてくるものがありました。
小学生の頃の私
私は子どもの頃、本を読むのが好きでした。一方で、学校ではあまり話さない子でもありました。
家では普通に話していたのですが、学校へ行くとなぜか自然と口数が少なくなる。周囲からは「引っ込み思案」「おとなしい子」そんなふうに見られていたと思います。
なぜ話さなかったのか。
そもそも、話せなかったのか、話さなかったのか。
家では話せる。気の合う友人とは話せる。
でも、大勢の中や慣れない場所では、自分を出すことに慎重になる。今思えば、そんな子どもだったのだと思います。だからこそ私は、『ハッピーバースデー』の主人公あすかに、自分でも気づかない形で何かを重ねていたのかもしれません。
今思うと、感受性の強さに加えて、周囲を冷静に観察する慎重さがあったのでしょう。私は決して「話せない人」だったわけではなく、「安全だと思えた場所で、自分を出せる人」だったのだと思います。
『ハッピーバースデー』との出会い
小学生の頃に読んだ『ハッピーバースデー』。主人公のあすかは、母親からの言葉によって声を失ってしまいます。その後、祖父母の深い愛情や周囲との出会いを通して、少しずつ自分を取り戻していく物語です。
私は当時、この本を読んで泣きました。たくさん本を読んできましたが、あれほど心を揺さぶられた作品はありませんでした。
なぜあの物語に惹かれたのだろう
不思議なのは、私自身はあすかと同じ経験をしたわけではないことです。家庭環境も違いますし、家では自分らしく過ごせていました。
それなのに、なぜあれほど心を動かされたのか。
今考えてみると、「声を失ったあすか」の姿に、当時の私が抱えていた「本当の自分をうまく外に出せないもどかしさ」を、無意識に重ね合わせていたのかもしれません。
大人になって知ったこと
大人になってから、心理学や自己理解について学ぶ中で、「場面緘黙(ばめんかんもく)」という言葉も知りました。ただ、自分がそれだったのかと言われると、正直しっくりはきません。
それでも、人にはさまざまな特性や反応があること、そして「自分でも気づいていない微細な感覚」が誰しもあるのだと知りました。
おわりに
今の私は、「なぜ苦しいのか」「本当は何を感じているのか」を理解することの大切さを伝えています。
もしかすると、その原点は小学生の頃に出会った一冊の本にあったのかもしれません。理由は今でも完全には分かりません。
それでも、大人になった今も忘れられないということは、きっと私にとって大切な何かがそこにあったのだと思います。

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